| [19]-高岡漆器(富山県高岡市) |
| 明和年間(約二百年前)辻丹甫により中国風の漆器(花鳥山水)を制作したのが起原で、以後数多くの名工を輩出し高岡漆器の名を高めた。錆絵*、箔絵*、青貝細工、高岡彫など各種の漆器が生産され、その多彩な技法は、優れた伝統に裏付けられたものである。 |
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| [20]-城端漆器(富山県城端町) |
| 油と顔料を練り合わせて描く密陀絵*の技法(一種の油絵)を寛永年間治五衛門が長崎で学び代々その技法が伝えられてきた。後に軽粉という白色の粉末を蒔く一種の色蒔絵*を工夫し、白漆のない時代大いに称賛された。 |
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| [21]-魚津漆器(富山県魚津市) |
| 起原は後柏原天皇の頃と伝えられ、弘化万延の頃に活状を呈したが、その後に衰退し明治の中頃輪島の漆工が移住して、魚津市附近の山地から出た木地によって膳、椀など堅牢な漆器を作る様になった。 |
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| [22]-金沢漆器(石川県金沢市) |
| 前田家百二十万石の城下町、城中に御細工所が設けられ殿様御用の什器(じゅうき)や武具を塗ったのにはじまる。寛永年間藩主前田利常の招きで京都より来た五十嵐道甫によって蒔絵の技術が伝わる。その後正保年間に江戸の印籠蒔絵師椎原市太夫によって江戸蒔絵の技術が入り、絢爛豪華な加賀蒔絵を生んだ。茶道具を中心に、飾箱、硯箱、椀類がつくられ金箔の産地としても知られている。 |
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| [23]-輪島塗(石川県輪島市) |
| 応永年間輪島に総持寺が創建されたとき、紀州根来寺から来た僧侶によって漆工技術が伝承され、その後朝鮮から沈金の技術が伝わり、同地小峯山から出る「地の粉*」を下地に使って作られた。本格的な技法塗り工程による故、堅牢無比な呂色塗を特色としている。沈金彫は古くから有名である。 |
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| [24]-山中漆器(石川県山中町) |
| 材料の豊富な温泉地の関係上、山中漆器は初め浴客の土産物品として発展し、元禄年間に継燭台、茶托等を作り、宝暦年間に漆を塗るようになった。慶安年間、蓑屋平兵衛が糸目挽千筋漆器を創製し、また笹屋嘉平等により蒔絵技術も広まり山中塗の基礎ができ今日に至る。 |
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| [25]-越前漆器(福井県鯖江市) |
| 創始は約千五百年前の継体天皇の頃といわれる。嘉永年間、京都より蒔絵師、輪島より沈金師を迎え技術が向上した。明治初期、初めて地元で角物素地の製造が始まり幅広い製品が生産されるようになった。堅木を使用し上質の膳、椀、盆などの堅地ものの生産が盛んである。 |
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| [26]-若狭塗(福井県小浜市) |
| 慶長年間、小浜藩の御用塗師であった松浦三十郎が開祖とされている。その門人西脇紋右衛門等により改良され、万治年間に金銀箔、卵殻、青貝等をくずして使用する塗装法が発明された。藩主酒井によって若狭塗と命名、今日では塗箸の生産が大きい。 |
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| [27]-飛騨春慶(岐阜県高山市) |
慶長の頃、岐阜県高山市の大工高橋喜左衛門が城主に献上するために作った盆を起原とする。上塗の優劣及び下地、特に木地の良否は春慶塗の生命といえる。美しい木肌の色や木目を生かした素朴な感触が特色である。 昭和三十二年文部省より重要無形文化財に指定された。 |
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| [28]-静岡漆器(静岡県静岡市) |
今川一門が栄えたころからすでにあったといわれているが、寛永十一年徳川家光が賤機山に浅間神社を造営するにつき、諸国から名工を集め社殿造営にあたらせたことに起因する。 亨保年間、幕府の商業政策によって特別の庇護を受け技術、製作面ともに進歩し、漆器産地としての地位がしだいに築れ静岡漆器の名を高めた。 今日ではケヤキ等の木目のある木材を使用して木地を作りその木目を生かした塗装法による漆器が多く、おまた竹編に漆を施した漆器造りも近年盛んである。 |