| [10]-粟野春慶(茨城県桂村) |
延徳元年、稲川山城守源義明が桂村周辺に群生している漆と良質の桧、特産の梅を利用して漆器をつくることを思いつきその孫義忠が東茨城郡粟野に住んで業としたのがはじめだといわれている。 実用的な春慶塗りで、手法が秋田の能代春慶とにているので能代春慶はここからでたともいわれている。粟野春慶は他の春慶がいずれも染料を用いて着色するのに対して染料を用いずに漆に梅酢と油を混じたもので、すり漆を数回施して下地にし、素クロメ漆を塗って仕上げたものである。 |
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| [11]-日光漆器(栃木県日光市) |
建保三年二荒小神社が建立されたころ、曲物の飯枢や膳、重箱などを参詣者へ土産物として売り出されていたのが日光漆器のはじめといわれ、寛永年間美術の精髄を極めた東照宮造営の際集まった諸国の工匠が竣工後も永住して日光彫の基を開いた。 木彫に朱漆を塗りその上に透漆を塗って研ぎ磨く日光彫、紅葉塗、日光春慶などが知られている。 |
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| [12]-東京漆器(東京都) |
徳川家が江戸に幕府を開き、京都の漆工を招致したのが始まりで、以来将軍家、諸大名が競って名工の扶持育成に努めた結果、美術漆器の技術が大いに向上した。 また文化の中心地として漆器に限らずあらゆる分野の名工が育ち、各々技を競い庶民文化の華やかな時代が続いた。漆器は美術品から高級漆器、大衆向き蕎麦道具、寿司道具など幅広く作られていた。 |
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| [13]-鎌倉彫(神奈川県鎌倉市) |
| 鎌倉時代の仏師運慶が開祖とされ、以来八百年余の伝統がある。彫刻した素地に黒漆を塗り重ねてから朱などの色漆で彩色し「ふるび」を加えて仕上げたものであるが、塗りよりも”彫り”が中心とされている。昔は欅を用いたが最近は彫りやすい桂や朴などが使われている。薄彫、浮かし彫などの技法があり、堅牢で実用的な作品が多い。近年は愛好家の手による制作も増え全国的に広まっている。 |
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| [14]-芝山漆器(神奈川県横浜市) |
| 下総の芝山というおころにいた大野木専蔵(後に芝山専蔵と改名)が、安永年間にはじめたものだといわれている。横浜で行われるようになったのは、その子孫芝山宗一の頃からで芝山細工に工夫を加え横浜調の芝山漆器を作りだした。芝山漆器は、器物の表面に動物の骨や牙、象牙などを中心に貝やベッコウ、珊瑚などを細工して嵌め込んだもので、通常行われている螺鈿などと異なり立体的で変化にとみ、見る人をしてその豪華さと手作りの繊細な美しさで魅了する。 |
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| [15]-小田原漆器(神奈川県小田原市) |
小田原漆器は木地師の塗りである。箱根芦ノ湖畔の畑引き山や早川ぞいの底倉、大平平、箱根湯本の畑平、須雲などに木地師の聚落があった。はじめ木地のきま器物を作っていたが、後に相模漆の産出をみ漆加工したのが発祥である。 特に挽物技術に勝れ、ケヤキ材の木目をいかした摺漆仕上がその特長で、茶ビツ、茶盆、茶托、飯ビツなどを産する。 |
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| [16]-村上堆朱(新潟県村上市) |
文政年間、藩主内藤信思の頃に江戸詰だった藩主頓宮次郎兵衛が江戸の名工象谷について技術を習い古里に帰って広めたのが起原という。 古くは漆を塗り重ね厚さが三ミリ位の層になったところで、文様を彫刻するという本堆朱が主であったが、現在では、木地の上に堆朱彫り風の彫刻をして、漆下地を指頭やタンボですりこみ朱漆を塗ってツヤを消し、毛彫り、ふるびをつけて仕上げる。 整形中に特殊な砥石を用いるなど高度な技術で作られている村上堆朱は彫と塗りの技術が見事に調和した美しい塗りである。他に三彩彫り、金磨塗りなどがある。 |
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| [17]-新潟漆器(新潟県新潟市) |
元和の頃、春慶塗りに始まると伝えられている。 新潟は商業の町である。各地の産物は海によって運ばれ海によって各地に送りだされていった。新潟漆器はこうした各地の漆器を売り買いすることからはじまった。新潟漆器の特色は竹塗りで、江戸の鞘塗り橋本市競の考案したものが当地に伝わった。竹を模したもので青竹、煤竹、胡麻炊けの三つがある。他に石目塗、磯草塗、虫喰塗り、青銅塗りと変塗りの宝庫で、座卓、花台、文箱、など幅広い製品が作られている。 |
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| [18]-木曽漆器(長野県樽川村) |
慶長年間の創生。承応の頃、漆器の材料である桧材を伐採して盛んになる。十数回の色漆を塗り重ねて平面研ぎをなし、色漆の断層によって文様をなす木曽堆朱*、飛騨の黄春慶に対して紅春慶といわれる木曽春慶がある。 樽川村奈良井には木地師が居住し、早くから曲物*などを作っていた。今日でも膳・盆・湯桶などが作られている。 |